虎丸山と笹川十八枚村

虎丸山と笹川十八枚村

佐渡最古の砂金山と
砂金を採った人々の村

相川金銀山より、もっと古い時代から金が採れたんですか?

ここは昔、「笹川十八枚村」と呼ばれた砂金採取の人々が暮らした集落でのう。
目の前に見える赤い山肌の山が「虎丸山」という、佐渡最古の金山、「西三川砂金山」の採掘地の一つである。西三川砂金山は平安時代の「今昔物語集」にもそれらしい記述が見られ、その歴史はとても長い。16世紀後半に、砂金採取に従事した人々が、月に砂金18枚(2.9㎏)を税として納めたことから「笹川十八枚村」と呼ばれ、大変な賑わいを見せたと言われておる。「虎丸山」の砂金を採るために掘り崩された山の斜面には現在も植物が生えず、当時の様子を知ることができる。

どうやって砂金をとっていたのかしら?

砂金を採るためには、砂金が含まれている山を掘り崩し、余分な石や土を大量の水で洗い流してから、水底に残ったをゆり板で選びとる「大流し(おおながし)」という方法がとられたんじゃ。この大流しに必要な水を得るため、周辺にはいくつもの水路が作られ、最長で9キロ以上に及ぶものもあったそうじゃ。江戸時代には、村に「西三川金山役」という役人が派遣され、1872年(明治5年)に閉山するまで砂金採りが続けられた。現在は、集落に砂金山の名主を代々つとめた金子家の住宅や、周辺には水路などの跡も残されており、江戸時代の絵図とほとんど変わらない風景を見ることができるのじゃ。

Information

虎丸山:西三川砂金山最大の採掘地で、江戸時代の絵図には、山の上下2か所で砂金採掘を行った様子が描かれている。虎丸山に至る大流し用水路は約3.9kmで、西三川砂金山の水路の中では2番目の長さである。現在も掘り崩されて露出した赤い山肌を見ることができ、かつて砂金山で栄えた笹川集落のシンボル的存在となっている。

笹川十八枚村:笹川集落は、戦国時代末期に、1か月に砂金十八枚(約2.9㎏)を上杉氏に納めたことから、「笹川十八枚村」と呼ばれるようになった。それ以前は、小立村地内である北部の「金山」(十八枚)と、西三川村地内である「笹川」に分かれており、現在の集落センター付近に立つ道祖神の石塔が、かつての村境の名残りとなっている。

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施設基本情報

所在地 新潟県佐渡市西三川
交通案内 ガイドツアーをご利用下さい
電話番号 0259-74-2215(きらりうむ佐渡/8:30~17:00)
外国語対応 解説:英語表記あり
ホームページ https://www.city.sado.niigata.jp/site/mine/4523.html